蕎麦屋親爺65歳のつぶやきと少し寂しい自慢話です


by soba884
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関東遠征1300km(4)軽井沢(追記)

今回遠征の目的の一つ、赤城深山ファームからの仕入れの約束を取り付けたので、二日目はのんびりとリクレーションという事で、たまたま娘も休みだというので、一緒に軽井沢に行く事にしました。

高速でなく、地道を通って行きましたが、高速が出来た結果として、ロードサイドのドライブインや飲食店が閉鎖されて、少なくなっていました。繁栄の時代を知っているものからすると、寂しいものが有ります。時代には逆らえない事実。蕎麦屋も不滅では無い。

蕎麦屋になる前の会社で、新入社員の時から10年間会社が持っている軽井沢寮の管理をしていました。六月末に開設に行き、九月半ばに閉鎖。ですから、混雑した軽井沢と言うものを知りませんでした。
大阪に転勤になって、寮も移転し、その内、売却されて閉まった。

軽井沢に行ったら、私が管理していた場所がどうなっているか確認したかった。屋根に登って落葉が詰まった樋を掃除したり、庭の枯れた枝を切ったりしました。
のんびりとした良い時代で、寮の仕入れの支払いも秋に閉める時に一括して支払い。
そんな、食品店も無くなっていました。

寮は、軽井沢駅から旧軽に向かう道沿いに有りました。今、考えるととても贅沢な場所にあったものです。
寮があった場所には、取引先企業の管理地と言う看板が立っていた。大リストラと資産売却の残照を見て、感慨深いものが有りました。

10年間も通ったので、古いところなら分かるので、旧軽の中をドライブしながら、女将と娘に案内をしました。

旧三笠ホテルを見学
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建築士の端くれの娘は、一生懸命見てました。

ここでも、多くの中国人を見かけました。この後、ロータリーに戻って食事をしたのですが、ロータリー付近は私に言わせると季節外れ時期に、人混みが有りました。昔なら考えられないことです。

外部からの人が多いので、食事も普通の値段になっていました。40年前は、コーヒー一杯で、千円取られました。

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有名なベェカリーショップでランチ
三人で飲み物も付いて五千円でお釣りがきました。我々が入った本店より、後で通った中軽井沢店の方が混雑していた。
このお店、軽井沢で有名になって、銀座に進出したと娘に説明を受けた。お店の名前は忘れました。

その後。わたしの強い希望で、中軽井沢の石の教会、森の教会を見に行きました。
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石の教会は、結婚式の最中ということで、1時間程待ちました。写真不可ということで、中の写真はありませんが、噂通りの価値が有りました。
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森の教会は、丁度式が終わって新郎新婦が出てこられるところでした。
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万平ホテルへ
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軽井沢最後として、若い時には行けなかった万平ホテルに、お茶しに行きました。
すっかり大衆化して、多勢の入店待ちの列。我々も30分以上待ちました。
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待ち時間を利用してホテルの中の見学。
一見の価値あり。
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町の喫茶店よりは少し高いお金で、気持ち良いティータイムを過ごせました。

高崎に戻る娘を軽井沢駅まで送り、我々は小諸まで国道を走って、高速道路で松本に向かいました。

お墓まいりをする為に。




by soba884 | 2016-09-10 12:49 | 親爺話 | Comments(0)